中国ドラマ「始皇帝 天下統一」の71・72・73・74・75話ネタバレとあらすじ感想紹介記事です。
韓の滅亡から2年。紀元前229年(秦王政18年)。
秦王 嬴政は趙の攻撃を命令。李信、楊瑞和、王翦は軍を率いて趙を攻めます。趙王や趙の民は将軍・李牧に期待をかけます。李牧は趙軍を率いて邯鄲を守りました。
李牧は才能もやる気もあり、秦軍をうまく食い止めているのですが。兵糧を確保できるかという問題があります。
秦王 嬴政は李牧がいるかぎり趙を攻略するのは難しいと考え。趙の要人に賄賂を贈り李牧を陥れようとします。策はまんまと成功。
李牧は横領・賄賂を受け取った罪で殺害されてしまいます。
これまで秦の攻撃にも耐えてきた趙ですが、いよいよ最後が近づいてきたようです。
「始皇帝天下統一」のあらすじとネタバレ・感想を紹介します。
始皇帝天下統一 番組情報
原題:大秦賦
2020年、中国
全78話
原作小説:大秦帝國之東出
作者:孫皓暉
始皇帝天下統一の主要人物
・嬴政(えい せい)/秦王
演:張魯一
・呂不韋(りょ ふい)
演:段奕宏
・趙姫(ちょうき)
演:朱珠
・趙偃(ちょうえん)/趙王
演:蒋毅
第71話 邯鄲攻略
李牧は帰還命令を受けて都に戻る途中。郭開の兵に襲われ命を落としました。
これで趙を守ってきた李牧はいなくなりました。王翦たち秦軍は邯鄲を包囲します。王翦は無理に攻めずに兵糧攻めにしました。
邯鄲では食糧が不足、人々は餓えていました。でもそれでも趙の人々は秦に降伏しようとはしません。郭開は人々の不安を煽り、降伏を勧めますが趙佾たちは反対します。
郭開は王翦と内通して、城門を開放。邯鄲の街に秦軍がなだれ込んできました。
第72話 悲しき帰郷
紀元前228年。邯鄲は陥落。かつての大国趙はついに滅びました。趙王 遷は母とともに、秦軍に降伏しました。
しかし趙の貴族たちは秦や郭開に反発。やがて公子嘉(こうしか)が代の地で王を名乗りました。それを聞いた趙の人々は表向きは降伏しながらも、密かに反乱を企てるようになるのでした。
降伏に反対する趙佾を殺害しただけでなく、敗戦処理に便乗して私服を肥やすとは。どこまでも腐ってますね。これをみても郭開は国のためを思って降伏したのではないことが分かります。
悼襄王の嫡子で太子の座を奪われていた趙嘉が代(河北省)という場所で王に即位したと宣言。趙嘉の即位には逃げ延びた趙の貴族たちの後押しもあったようです。
秦王 嬴政は故郷の邯鄲を訪問。すると趙の人々が嬴政を暗殺しようとしますが失敗。さらには趙姫を批判する落書きに怒った嬴政は趙の領主たちを処刑しました。
第73話 揺れる4国
趙が滅びたのは他国にも動揺を与えましたが、楚王 熊猶は高官の楚王に惑わされて遊びふけっていました。
そんな国を正すため紀元前228年。楚の国では項燕と景涵が挙兵。楚王 熊猶と太后は廃位され、公子 負芻が新たな楚王となりました。
大事なときなのに何やってるでしょう。
趙が滅びた今、秦に対抗できる大国は楚くらいしかいません。その楚王がこれでは、謀反を起こされても仕方ありませんね。
でも貴族たちは強行な負芻に反発しています。ここが秦の付け入る隙になりますね。
秦王 嬴政は羋啟を楚に派遣。羋啟が負芻討伐を宣言すると次々に協力者が現れました。
燕の太子丹は秦に対抗するため軍事力を増強すべきと訴えますが、重臣たちは反対。燕王も太子の意見は認めませんでした。
秦から遠いですし、単独で対抗できる国ではありませんからね。
すでに戦争が始まっているのに日和見的な態度は侵略者を勢いづかせるだけ。自分たちが攻撃しなければ秦は攻めてこないと思ってるのは平和ボケとしかいいようがありません。
そこで太子丹は荊軻(けいか)や舞陽(ぶよう)を集めて秦王暗殺を計画。
いよいよ秦王暗殺事件の始まりですね。中国ドラマ「麗妃と始皇帝」でもテーマになった事件です。
このドラマではどのように再現されるのか楽しみです。
第74話 秦王暗殺
燕の太子 姫丹は樊於期を呼び出して斬首。荊軻は樊於期の首を手土産に秦に和睦の使者として向かいました。
やっぱり命は失いたくないですしね。それとも一族を嬴政に処刑されている樊於期としては嬴政に恨みはあるので、首を差し出すのを認めたのでしょうか。
荊軻と秦舞陽は嬴政に謁見。荊軻が嬴政の暗殺を試みますが、失敗。嬴政に逃げられ、李斯の活躍もあり、最終的に荊軻は嬴政に討たれます。
嬴政を討つなら絶好のチャンスでしたけどね。なかなか成功しないものですね。史実どおりといえばそのとおりなんですけど。
その結果。燕と秦の和睦はなくなり、秦が燕を攻めて滅ぼしました。燕王は姫丹の命で助けてもらおうとしますが。そんなことで嬴政が納得するはずがありません。
第75話 郡県制への道
楚国では民衆と士族の不満が高まり、内部分裂が進んでいます。羋啟は楚国を滅ぼすチャンスだと考えますが、嬴政は楚を攻めるふりをして魏国を攻める策略を立てました。
魏王は都城大梁の城壁を補修。王翦は固い守りの大梁を攻め落とすことができません。
秦王嬴政は白起の戦報を見直して大梁城を破る方法を見つけました。それは「水攻め」でした。
紀元前225年。秦の将軍王賁は黄河と鴻溝(こうこう)の水を引き入れて梁城を水浸しに。
王賁が水攻めにしたのは史実通り。どんなに強固な城壁をもつ城でもこれでは、中で暮らす人々が耐えられません。数ヶ月耐えましたが、魏王は秦に降伏しました。
魏国滅亡後、嬴政は楚国を滅ぼすための計画を協議。そこで意見が対立。
王翦は広大な楚を支配下に置くために分封を提案しますが。あくまで直接統治を目指す嬴政は分封に反対。王翦は辞職してしまいます。
いくら広大な土地をもつ楚といっても今は弱くなっていますし、秦の力で攻め落とすことができると思っているのでしょうね。李信と蒙恬を派遣して楚を攻撃させています。
一方で、分封をめぐって羋啟と地元の士人との間で問題が起きているようです。
これはチャンスとばかりに楚公子 景涵がなにやら仕掛けてきました。
さすがに今までみたいには簡単には勝てそうもありません。さてどうするのでしょうか。
臣下や諸侯に土地を与えて、彼らに統治させること。直接、王が民や土地を支配しているわけではないので王の支配力は弱まります。
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