中国ドラマ「大唐流流~宮廷を支えた若き女官~」のあらすじとネタバレ です。
いよいよ最終回です。
まずは前回(54話)までのお話から。
傅柔は周王に盛楚慕に何が起きたのか尋ねますが教えてもらえません。
盛楚令は歆楠公主と盛楚慕の死を聞かされ悲しみます。
傅柔は玉璽を守らなければ行けないと思い。韋松や黄内侍に不審なものには気をつけてほしい頼みました。
曹内侍は偽造した勅書に印を押そうとしました。いやがる余明公をおさえつけて、無理やり印を押そうとしましたが。箱の中には玉璽はありませんでした。
死んだと思われた歆楠公主は喬嬪の宮殿に身を隠していたことがわかります。
傅柔は侍衛に捕まり投獄されます。楊柏に助けを求めますがすでに曹総管の仲間になっていました。
盛楚慕は盛楚令に歆楠公主が生きていることを伝え、共に騎兵を率いて宮中に向かいました。
太子と韓王は脱獄に成功。厳子方は王位継承の詔勅を待ちます。
周王は顔妃から玉合たちの企みを聞かされ、解毒剤を持って皇帝の寝所に向かいました。その途中、逃亡中の太子と韓王と出会います。
三人は皇帝に解毒薬を飲ませて皇帝を背負って宮殿を脱出するのでした。
そして最終回。
「大唐流流」主なキャスト
傳柔(ふじゅう):李一桐。 商人の娘。ヒロイン
盛楚慕(せいそぼ):許凱。 将軍の息子。主人公
盛驍靖(せいぎょうせい)黒子。 盛楚慕
歆楠公主(きんなんこうしゅ): 呉佳怡。皇帝の娘。
厳子方(げんしほう):洪堯。 将軍。傳柔のもと許嫁
陸雲戟(りく・うんげき):侯岩松。 唐の将軍、盛驍靖のライバル。
陸琪(りく・き):何奉天。 陸雲戟の息子。盛楚慕のライバル。
覆水(ふく・すい):王一哲。 反乱軍の首領・楊元の孫。謀反を計画。
第55話(最終回)
覆水は歆楠公主と大臣を殺そうとしました。すると巌子方が助けに入ります。
巌子方はすでに盛楚慕の味方になっていたのでした。歆楠公主と盛楚令は再会。
驚いた覆水は逃げだしました。
盛楚慕は覆水を追いかけますが、覆水に刺されてしまいます。しかし傅柔の作った鎧に助けられました。
しかし覆水は傅柔殺害の命令を出しており、盛楚慕に自分の女を救うことはできないと言うのでした。
盛楚慕は地面に倒れている傅柔をみつけましたが、彼女は動きません。驚く盛楚慕。しかし傅柔は生きていました。抱き合って泣いて喜ぶ二人。
皇帝は陸雲戟の企みを知り、彼を討つため盛驍靖を派遣。陸雲戟の謀反は失敗し。陸雲戟は斬首、陸琪は流罪になりました。
皇帝はその後、功績のあったものをたたえました。盛楚令と歆楠公主の結婚を認めます。
皇帝は太子を処分しようとしましたが、皇后の遺言をだして命だけは救うように嘆願。太子は命は助けられ長安を離れることになりました。
匿われていた秦王が宮中に戻り、新しく太子になりました。
傅柔は宮殿を離れ盛楚慕との結婚を認められます。
そして、傅柔・盛楚慕、歆楠公主・盛楚令の結婚式が一緒に行われるのでした。
—– 終わり —–
大唐流流ドラマのモデルになった事件
「大唐流流」のドラマでは謀反事件がたてつづけに起きています。この事件にはモデルになった歴史上の事件があります。
皇太子 李承乾の廃位事件
評判を落とす皇太子と皇帝に可愛がられる魏王
唐の2代皇帝、太宗 李世民と長孫皇后の間には3人の皇子がいます。皇太子 李承乾、魏王 李泰、普王 李治です。
李承乾は幼いころから賢くて皇太子の仕事も無事こなしていました。皇太子は脚気のため、脚が不自由でした。そのため太宗が遠征に行くときは監国(皇帝代理)として都に残り、留守を守っていました。
魏王 李泰は太宗のお気入りの息子でした。李泰は学問が好きで儒学者との付き合いもありました。太宗は学問好きな魏王 李泰のために魏王府に文学館を解説して学者を採用するのを認めました。
李泰は超肥満でした。でも太宗は叱るどころか李泰に輿(こし)に乗って宮殿に来るのを許可しました。
太宗は魏王 李泰を大事にしすぎました。そのため李泰は自分が後継者になれると思い、臣下たちは李泰に媚びへつらうようになります。
当時の長安では西域風の文化やファッションが流行。皇太子も街で流行っている異国の音楽を楽しみました。太宗や儒学者達はそんな皇太子の異国趣味が気に入りません。
太宗は皇太子に様々な学者をつけて教育しましたが、皇太子の行いは変わりません。
皇太子 李承乾は踊りの上手な芸人の「称心」を気に入っていました。でも重臣たちの間から「皇太子の行いにはふさわしくない」という意見が出てきます。太宗はそれを聞くと激怒して称心を処刑しました。皇太子は称心との仲を密告した臣下を殺害しようとしました(未遂)。
皇太子は廃されると思い謀反を計画
皇太子 李承乾は評判がよくない。
魏王 李泰は評判がいい。
となれば魏王は野心を持ちます。仲間を使って自分が後継者にふさわしいと噂を流しました。
そうなると皇太子は「自分は廃されるのではないか」と不安になってきました。
643年。皇太子は張師政、紇干承基を派遣して李泰を暗殺しようとしましたが失敗。
すると皇太子は以前から仲の良かった漢王 李元昌、兵部尚書 侯君集、李安儼、趙節、杜荷たちとともに挙兵して太宗のいる西宮を占拠しようとしました。ところが計画がバレてしまいます。
次の皇太子を誰にするか悩む皇帝
皇太子たちは捕らえられました。太宗は李承乾を廃して庶人に落として鄂州に流罪にすると決定。
太宗は李泰を皇太子にしようと考え李泰に伝えました。すると李泰は「私が死んだら自分の息子を殺して、李治に皇帝の座を譲りましょう」と言いました。太宗はそれを聞いて喜びました。
しかし褚遂良は李泰の言葉は嘘だと太宗に忠告。
太宗が獄中の李承乾に会いに行くと「私は皇太子なのだからこれ以上何を望むことがあるでしょうか。私が忠臣たちと事を起こしたのは魏王が私を陥れようとしたからですよ」と言いました。
太宗もここにきて李泰が野心を持っていることに気づき。息子を三人とも生かすためには一番優しい李治を跡継ぎにするしかない。と思いました。
李泰が皇太子になるつもりで宮殿にやって来ると、太宗は李泰を「皇位を奪おうとした罪」で捕らえて位を剥奪して北苑に監禁しました。
李承乾は流罪先に流されました。
皇太子になったのは普王 李治でした。後の高宗です。
645年。李承乾は流罪先で死亡しました。
647年。李泰は釈放され濮王になりました。
周王の反乱のモデルになった呉王の反乱疑惑事件
呉王・李恪 は太宗の三男。皇太子や魏王の後継者争いには加わりませんでした。
側室・楊妃の子ですが、太宗からは大変可愛がられ。太宗も皇太子候補にしようかと思ったくらいです。結局、重臣の進言もあり、皇后の息子の李治が皇太子になりました。
李恪は太宗の時代を生き延びました。
ところが高宗の時代。
653年。房遺愛や高陽公主たちが荊王 李元景を担いで謀反をおこそうとしました。この事件はバレてしまうのですが。長孫無忌は房遺愛に「呉王も事件に関わっていた」と「自白」させました。
こうして呉王 李恪も逮捕され自害させられてしまいます。
呉王 李恪については冤罪なのですが。長孫無忌は高宗の地位を安泰にしようと有力な皇族を潰したのです。
<>母の楊妃は本来は四妃の一人で「淑妃、徳妃、賢妃」のどれかのはず。でも記録がなく、陵墓にも埋葬された形跡がありません。
息子の処刑に連座して地位が下げられたと考えられます。
大唐流流の人物とモデルになった人
皇太子 李承乾の反乱はこれまで何度もドラマ化されてきました。「武則天」「大唐見聞録」でも描かれています。
「大唐流流」では大幅にアレンジされています。太子の反乱はすぐに鎮圧され。あとで周王も関わった反乱が起きて皇子たちが協力して皇帝を助ける。という筋書きに変更されています。
皇太子の廃位事件と周王の謀反疑惑の事件を合わせたような内容です。
最終回前後に登場(名前が出てきた人も含む)する人物とモデルになった歴史上の人物を紹介するとこうなります。
皇帝側の人々
皇帝
モデル:2代皇帝 太宗 李世民
皇后
モデル:長孫皇后(ちょうそんこうごう)
盛楚慕(せい・そぼ)
モデル:程処黙
盛驍靖(せい・ぎょうたい)
モデル:程知節
盛楚令(せい・それい)
モデル:程処亮
歆楠公主(きんなんこうしゅ)
モデル:清河公主
秦王
モデル:普王 李治(唐高宗)
小鹿
モデル:武媚(武則天)
・武則天(武媚娘)の詳しい説明はこちら
皇太子 李承乾の廃位事件に関わった人物
太子
モデル:皇太子 李承乾
韓王
モデル:魏王 李泰
梁王
モデル:漢王・李元昌
陸雲戟(りく・うんげき)
モデル:侯君集
呉王の反乱疑惑事件に関係する人物
顔妃
モデル:楊妃
太宗の側室。隋の皇族。
実は武則天の母方の親戚。
周王
モデル:呉王 李恪
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