孤城閉 最終回(68・69話)あらすじとネタバレ感想:趙徽柔と梁懐吉の運命は?

孤城閉 最終回 あらすじとネタバレ 中国時代劇あらすじ

中国ドラマ 孤城閉(こじょうへい)最終回。第68・69話のあらすじとネタバレ感想紹介記事です。

いよいよ最終回です。

諫官たちによる趙徽柔への弾劾が激しくなっています。梁懐吉を死罪にしろという意見もあります。

しかし仁宗 趙禎は梁懐吉の死罪は認めません。梁懐吉の名前を梁元亨に戻すよう命令するのでした。

それでも司馬光は収まりません。

結局、趙禎は趙徽柔を兗国公主から沂国公主に格下げ。離縁させることにしたのでした。

 

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孤城閉 主要人物

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趙禎(ちょう・てい)/仁宗
演:王凱(ワン・カイ)

曹丹姝(そう・たんしゅ)/曹皇后
演:江疏影(ジャン・シューイン)

苗心禾(びょう・しんか)
演:許齢月

趙徽柔(ちょう・びじゅう)/兗国公主・福康公主
演:何思甜

 

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第68話 過ちが生んだ功

 

韓琦は最初は梁懐吉の素性を仁宗 趙禎に伝える気はありませんでした。でも、諫官たちによる趙徽柔への弾劾が激しくなっています。梁懐吉を死罪にしろという意見もあります。

そこで韓琦と張茂則は梁懐吉の素性を知らせるため密奏を提出。それを見た趙禎は梁懐吉があの梁家の子供だと知って驚きました。

趙禎は韓琦に対して梁懐吉を犠牲にするつもりはないと言うと、張茂則に梁懐吉を連れてくるように命じました。

朝議の場で司馬光は李瑋の左遷を撤回して梁懐吉を死罪にするよう求めました。しかし趙禎はその要求には答えず、梁懐吉を連れてこさせて元の名前の梁元亨に戻すよう命令しました。趙禎や欧陽修が梁懐吉を養護しますが、司馬光は譲りません。王陶も梁懐吉の追放を求めます。趙禎はそれも拒否。すると司馬光は官帽を脱ぎ辞職と自殺をちらつかせてます。

司馬光はどうせ自殺すると見せかけたパフォーマンスなんだから好きにやらせれば。と思いますが本当に死んだらそれはそれで問題なのでしょうね。

 

大臣たちが困っていると趙徽柔が人形を持ってやってきて司馬光の作った詞のいち部を読み上げ、趙徽柔を非難しました。

趙禎は梁懐吉に命じて趙徽柔を退場させると、司馬光を説得させるのでした。韓琦と欧陽修が今後どうするかを提案します。

趙禎は趙徽柔を兗国公主から沂国公主に格下げ。離縁させることにしました。

この処分は史実通り。ここまで騒ぎが大きくなれば仕方ないですね。

 

それでも司馬光は不満です。趙禎は親孝行のために公主を自分の生母の甥に嫁がせたのだから、公主にも言い聞かせるべきではと言いますが。

趙禎は公主は操り人形では無いと司馬光の意見をはねのけます。

趙禎は公主は操り人形では無いといいながら、自分の感情を満たすための道具として使ってますよね。趙禎は自分の孝行心を満たせればそれでいいのでしょう。しかもそれにプラスして子供を甘やすことが愛情だと勘違いしているダメ親ですから周りも大変です。

 

68話の感想と解説

ドラマの司馬光は融通のきかない役人として描かれています。司馬光だけでなくこの時期は自分の名声を上げるためにあえて強硬に主張する人がたくさんいました。ちょっとしたことが政争の種になって批判合戦をしていたんですね。

司馬光は後の神宗の時代に王安石の新法に反対しました。高給取りの役人や大地主の利権を守る側の人です。

また司馬光は「資治通鑑」という歴史書を書きました。「資治通鑑」は中国史研究者の間では有名な歴史書ですが、中華思想に凝り固まった本でどこまで正しいのか怪しいです。欧陽修の書いた文章に比べると品がない。でも内容は面白いので歴史のネタとしては重宝されます。

ドラマは脚色されていますが。こういう人たちがたくさんいて生産性の低い議論や政争に明け暮れていたのが宋の時代です。

 

第69話(最終回)孤城に生きる

皇太子決定

仁宗 趙禎は趙宗実を太子にしようと思いました。宰相の韓琦を宗正寺に派遣しますが趙宗実は会おうとしません。断られた韓琦は趙宗実には後継者になる資格はないと批判。趙禎は趙宗実は自分の意志を測りかねているのだろうと韓琦に言い聞かせます。

趙禎は正式に趙宗実を皇太子にする勅命を出しました。そうなると趙宗実はもう拒否することができず、出ていくしかありません。

これでようやく跡継ぎ問題も解決ですね。

趙禎と趙徽柔の和解

その後、趙禎はなかなか自分に会おうとしない趙徽柔の機嫌を治すため。灯市が始まる前。趙禎は趙徽柔を灯籠の作っている所を見せました。趙徽柔は自分の知らない庶民の生活を見て驚きました。そして趙禎は趙徽柔に司馬光の意図について話します。

趙徽柔はいまだに梁懐吉に会いたい気持ちで一杯でしたが。 趙禎は趙徽柔に自分たちは皇帝や公主で一般人のようにはいかないのだから、自分たちがそんなに気まぐれに生きる訳にはいかない。自分は趙徽柔を一生守り続ける事はできないのだから趙徽柔もあの役人たちが猜疑心にかられて騒ぎ出すことの内容にして欲しいと言います。

父の想いを知った趙徽柔は梁懐吉を手放すことを決意。「孤城(孤独な城)」から出して欲しいと父に願います。

すでに趙禎は張茂則に梁懐吉を兄の梁元生のもとに送り届けるように命令していました。これからは梁懐吉は存在しない梁家の元亨として生きていくことになりました。

梁懐吉もこれで良かったのかもしれませんね。二人が一緒にいたらさらに傷つくことになりそうですから。

 

その後、趙禎は曹丹姝とともに灯市を訪れました。趙禎は来世があるとしたらまた皇帝になりたたいと言うのでした。

いや、ドラマの通りなら。ならなくていいよ。

 

趙禎の最期

嘉佑8年(1063年)。趙禎は自分と曹丹姝を描いた絵を探して昔を懐かしんでいました。しかし曹丹姝が酒を持ってきたときには趙禎は発作で倒れていました。曹丹姝は驚き侍医を呼びますが、趙禎は手にした酒を落とすと絵を燃やしてしまいます。そして趙禎は曹丹姝の腕の中で息絶えました。

趙禎は死後「仁宗」と廟号が与えられました。

その後。英宗 趙曙(宗実)が即位しました。

 

趙徽柔はショックのあまり記憶喪失

趙徽柔は父の死にショックをうけて多くのことを忘れてしまいました。しかし苗心禾はむしろこれで良かったのだと思います。

曹丹姝と苗心禾は趙徽柔を連れて外出。梁元亨(懐吉)のいる暄妍学堂の前を通りがかります。子どもたちは梁元亨の作った凧で遊んでいました。それを見た趙徽柔はただ凧で遊んでいる子供を可愛いと思うだけでした。

「終わり」

孤城閉 最終回までの感想

趙徽柔と梁懐吉は引き離され。最後は趙徽柔は父の死にショックを受けて記憶喪失になり過去のつらいことを忘れてしまった。というオチでした。いいのこれで?

できるだけ良い思いを残してエンディングを迎えるためには、これでいいのでしょう。

現実には趙徽柔にはさらに過酷な日々が待っています。仁宗 趙禎は死の直前。一度離縁した趙徽柔と李瑋を再婚させます。趙禎が死んでも二人の不幸は終わらないんですね。

仁宗は皇帝としてはまともで有能な統治者だったかも知れません。でも私生活はグダグダ。ドラマはまだ良いように描いている方だと思います。

趙徽柔は境遇的には「気の毒なお姫様」「親の自己満足の犠牲になった子供」「儒教の教えの被害者」のはずなんですが。

どうもわがままな部分が目についてあまり可愛そうという感じではありませんでした。

後宮の妃たちの争い、表の政争、親の犠牲になる公主。と見どころはたくさんあったはずなのですが。全体的にテンポが悪く、回りくどい台詞回しもあって退屈なドラマになりがちでした。演出の仕方しだいではもっと面白いドラマになったはずなのに残念でしたね。

 

孤城閉・仁宗、その愛と大義 全話一覧

 

関連リンク

ドラマでは描かれない、その後の福康公主 趙徽柔と李瑋の人生はこちらをごらんください。
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・福康公主の詳しい説明はこちら。

 

・李瑋の詳しい説明はこちら。

 

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