中国ドラマ「孤城閉(こじょうへい)~仁宗、その愛と大義~」56・57・58・59・60話のあらすじとネタバレ感想紹介記事です。
仁宗 趙禎の誕生の宴が行われ、貴妃 張妼晗は皇帝が禁止している豪華な服を着て出席。仁宗 趙禎はやんわりとその衣装を着るのをやめるように言いました。
宴の場で福康公主 趙徽柔は張妼晗から嫌がらせを受けその場を離れると曹評がいました。でも趙徽柔は避けようとするのでした。
やがて張妼晗は宴の途中で退席。雨が降る中、張妼晗は息絶えるのでした。
孤城閉 主要人物
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趙禎(ちょう・てい)/仁宗
演:王凱(ワン・カイ)
曹丹姝(そう・たんしゅ)/曹皇后
演:江疏影(ジャン・シューイン)
苗心禾(びょう・しんか)
演:許齢月
張妼晗(ちょう・ひつかん)
演:王楚然
趙徽柔(ちょう・びじゅう)/福康公主
演:何思甜
第56話 矛盾の中で膨らむ想い
福康公主 趙徽柔は曹家の者から傘を受け取りました。壊れてないか確かめてくれと言われたので傘をよく見ていみると文章が書いてありました。そこには曹評の気持ちが書いてあり、それを呼んだ徽柔は感動します。そして父は私情で決めているのに、自分は父の仁宗 趙禎の都合で好きでもない人と結婚捺せられることに疑問を感じるのでした。
梁懐吉は傘の文を見せられ、詩の返事を書きたいと言われます。すると梁懐吉は涙が込み上げてくるのでした。趙徽柔は梁懐吉の様子を見て様子がおかしいことに気が付き、そのせいで自分を嫌いにならないでほしいと思うのでした。そして趙徽柔は李瑋との結婚やその母親を好きになれないと打ち明けます。
そんな趙徽柔に梁懐吉は自分は趙徽柔の味方だと言うのでした。
趙徽柔の結婚は親が勝手に決めたものなので納得いかないのはわかります。李瑋と結婚しても幸せにはなれないでしょう。かといって曹評がふさわしい相手とも思えませんし。それに立場上、決して叶うことのない梁懐吉の思いも痛々しいですね。
その後。趙徽柔は父の趙禎に国子監に行きたいと説得。ところが趙徽柔は講義の最中に抜け出して駆け落ちしようとするのでした。超禎は趙徽柔がいないことに気がつき探させました。すると趙徽柔と曹評が書庫で会っているのを発見します。
駆け落ちするにしても、皆がいるところで抜け出して書庫で会うのはマズイでしょう。ちょっと思慮が足りないような。
第57話 一度きりの機会
仁宗 趙禎は趙徽柔に接近する曹評の行動に不信感をもち曹家が良からぬことを考えているのではないかと疑います。趙禎は趙徽柔を禁足にして曹家を皇城司に監視させるのでした。
曹佾は弾劾をうけ自身も解任してほしいと訴えています。さらに立太子を求める臣下たちの上奏もとどき趙禎の心は疲弊して平静さを失っていました。気を使う皇后にも当たり散らしています。
趙禎は儒教に縛られすぎてその価値観が絶対だと信じています。外からみると趙禎の決定はおかしいのですが。本人はまったく理解していないのですね。困ったものです。
今の仁宗には跡継ぎがなく、宗実を養子にしています。皇帝家の将来も危うい状況で。そんなときに皇后の親族の男が、皇帝の娘に執拗に接近するのは危険なこと。「曹家に下心あり」と疑われても不思議ではありません。
趙徽柔を説得しようとする趙禎ですが、逆に張妼晗のことを持ち出されてしまいます。そこで趙禎は曹評を呼び出し。趙徽柔と結婚する気があるかと問いただすと怯えた曹評はあっさり否定。裏でそれを聞いていた趙徽柔は力で曹評の想いをねじ伏せたと父を批判するのでした。
ここで曹評が趙徽柔と結婚したいと言ったらそれはそれで趙禎が怒りそうです。しかし普通の恋愛とは違うのですから、曹評も公主にちょっかい出すなら皇帝がどう出るか考えないと。これでは子供の遊びです。宋では皇帝に対しても自分の意見を言える人が称賛されます。だから宋には様々な論客が登場して政治の場でも争いを行っています。曹評は恋愛の駆け引きは上手くても、いざという時に頼りにになりそうもありませんね。
第58話 最愛の形
意識が朦朧とした仁宗 趙禎は皇后 曹丹姝が謀反人だと口走ってしまい。うわ言からでた誤解だとわかりましたが、曹丹姝はショックを受け、傷心の曹丹姝は趙禎の看病を他の者に任せます。呼び戻された張茂則は趙禎に使えるように命じられました。
この時期。仁宗の言動がおかしかったことは記録されていて。仁宗は実際にドラマのように曹皇后と張茂則が謀反を企てていると口走ったことがあります。もちろん周りの者はそんなことはないとわかっているのですが。皇后にとってはショックな出来事だったでしょう。
趙徽柔は父の状態が悪化したのは自分のせいだと思い父の看病をしていました。趙禎は曹丹姝の作った干し肉と酒が食べたいといい。趙徽柔が趙禎と曹丹姝の仲立ちをしようとするのですが、曹丹姝は会おうとしません。それでも趙徽柔の説得で曹丹姝は趙禎に会うことにします。
気まずいながらも趙禎と曹丹姝は庭園で和やかに過ごしました。そんな2人を見て不思議に思った趙徽柔は二人の関係について梁懐吉に問いかけるのでした。
ドラマでは2人はうまくまとまったように描いてますね。曹丹姝だから許せたのかも知れません。うわ言とはいえ日ごろの心ではそう思っていたということですから。実際には二人の関係はもっと冷めていたようです。
第59話 文字の存在意義
嘉祐2年(1057年)科挙が行われました。試験監督になった欧陽修は科挙を新しくしたいと考え、今まとは傾向の違う問題を出しました。
試験の後。欧陽修はある解答を見て絶賛。状元(首席)にしようとしました。しかし梅堯臣はそれを書いたのは欧陽修の弟子・曽鞏ではないかと考え2位にしました。ところがその解答を書いたのは曽鞏ではなく見ず知らずの者でした。
合格者が張り出されました。ところが上位合格者は無名の者でした。状元になると言われていた劉幾が落第。落第していた者たちは怒って欧陽修が敵対勢力を排除しようとしたのではないかと騒ぎます。欧陽修は街なかで落第者に囲まれて激しく避難されました。劉幾たちは、欧陽修のプライベートな問題を蒸し返し個人攻撃を始めます。そこに2位で合格した蘇軾と蘇轍が立ち寄り、欧陽修を擁護して劉幾たちと争いになります。
その騒ぎは仁宗 趙禎のもとにも届き、張茂則が騒ぎを収めるために出動しました。その最中に馬が犬を蹴り殺す出来事がおきました。欧陽修はこの様子を表現する文を作らせました。しかし劉幾たちが作ったのは分かりづらい文章でした。それに対して欧陽修は簡潔にわかりやすく表現して見せました。
採点者の思惑で合否や順位を決めてはいけないでしょう。でも、実際の科挙でも政治的な忖度や政治的な思惑によって合否や順位が決められていました。科挙は完全な実力主義ではないのです。
劉幾は欧陽修の人格攻撃をしていますが。これは珍しいことではなく中国や朝鮮、日本の東アジアの知識人の世界では「学問を学んでいる人は人格も立派」という考えがある(実際には頭がいいと、人格が立派は別物です)ので無学な者は人格も悪い→相手の人格を否定すれば相手を劣る人間にすることができる。と考えられています。だから「高学歴が偉い」という考えになりやすいのです。
劉幾たちが作ったのは太学体と呼ばれる北宋の初期に流行った漢文の表現法。言い回しが曖昧で分かりづらい。史実でも欧陽修は科挙を通して分かりづらい太学体を正すことに成功しています。
第60話 嫁姑問題
福康公主・趙徽柔と李瑋は結婚しました。ところが李瑋が大嫌いな趙徽柔は初夜でいきなり李瑋を寝台から追い出しました。その事は周りの人々の間にも知れ渡りました。趙徽柔の乳母・韓氏は侍女たちが話しているのを聞き叱りつけます。
しかし李瑋の母・楊が李瑋と徽柔が共寝していないことを知り、李瑋を叱ると「早く床に入るように」との想いを込めて韓氏に白綾を渡しました。それを知った徽柔は楊氏のもとに行って楊義姉上と呼びました。宮中の決まりに酔って義母と呼ばなくてもいいのです。そんな趙徽柔に対しても李瑋は公主を怒らせないように従っていました。怒った楊氏は皇帝に訴えようと宮殿に行くのですが、葬儀の行列に阻まれてしまいます。
それまで公主は嫁ぐと夫の母を「母」として敬うように言われていましたが。仁宗は福康公主のために規則を変更。義母に従わなくてもいいようにしました。
一方、趙徽柔の新婚生活を知る梁全一は梁懐吉に趙徽柔を説得するように言います。しかし趙徽柔は梁懐吉を頼りにしていると言われてしまいます。
趙徽柔と梁懐吉はいい関係いになってきましたね。というか、梁懐吉は好きだという感情を利用されて便利に使われているような。
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